幸せになろうと思った/すみだ向島EXPO2020について

後藤さんが発信しているように向島エキスポによって(なのかどうかわからないけど)物件の利活用が決まっているみたい。それも参加した作家が物件を使う、もしくは今使っている物件に加えて新たな物件を使う流れになっている。エキスポがゴールではなくスタートだったことを示している。

この流れは止まらないといいなと思う。まだエキスポに参加した作家/住人が隣人との幸せな日を感じて物件の利活用に踏みきった形だけのように見えるし。コンセプトにある「隣人」がそれ以外の住人(長屋など物件に住まう人だけではなくてその周囲や地域の人)をさすのであれば、そこからも物件の利活用の話が広がることになるんだろうな。

よくデザインされた企画だったんだなあと振り返る。向島博覧会からのつながりを意識し、墨田区に魅力を感じた人々のつながりをフル活用していて、まさに博覧会だった。3300円の入場料についても、見る側の責任や地域住民がプロジェクトを支える構図を意識していたとのこと。その見方で言えば、じっくり「見る」ことができた

その場所でしか見ることができないアーティストの作品をたくさん見ることができた。七軒長屋ではそこでの生活や生活者を想像させる作品を、元建具屋ではその場に漂う時間を超えた生活を伝える作品を、小倉屋では演者と観客の境界を撹乱させる作品を見た。

大洲さんの作品は電波の交差(混線に近い)から少し離れた(壁など物理的なものを隔てているけど電波を通じてだから交差する)生活がそこにあったし、佐藤原口は閉じた生活の中にある個人(もしくは家族)の極めて私的なコミュニケーションがあってよかった。

タノタイガさんは39アートin向島からつながるベンチのプロジェクトを展開してくださっていて、たぶん自然なご近所との会話から生まれたものだと思うけど、最終日には長屋の端っこのおじいさんにベンチを作っていた。(そういえばおじいさんと少し話したけど隣のsampoの皆さんが最近いらっしゃらないことを寂しそうにしていたのが面白かった。たぶん音とか気にしてたんだろうけど、その音が聞こえなくなると寂しさを感じているっぽい。可愛いおじいさんだった。。。)

軒下プロジェクトは展示プロセスそのものに住民との関係が含まれていた。田原さんはコンビニのファサードから着想を得て、外から見える小倉屋の中の生活を、偶然(商店街振興の一貫で一方的に設置された看板によって)その場に関係させられた富士山をモチーフに考え直させるものだった。いままで何回も田原さんの作品を見てきたから感じるんだけど、今回はかなり住民そのもの(その生活や地域の中での存在など)を意識した作品で異色だったと思う。それだけ今回の作品に対しては困難や挑戦があったんだろうと想像できて嬉しかった…。

個々の作家さんの作品はとても力強くて見ごたえもあった。その場所で生活していた人にとっての「隣人」を想像してこの場所で(物件だけじゃない)暮らすことの風景を想像する機会にはなったと思う。

けれど「隣人との幸せな日」というコンセプトとのつながりは見えなかった。サイト上にあるステイトメントとの関連は見えなかった。

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本EXPOのテーマとした「隣人と幸せな日」とは、わたしたちが限定されない世界で暮らしていくその先にある、現代版「醤油の貸し借り」であり、「火事場の運命共同体」となる関係性への、希望です。その先へと紡ぐ、新たなコミュニケーションについて――。

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その物件に住まう人を主体として置いたときの隣人、つまり周辺環境にその主体の生活がどのように溶け込もうとしているのかその様子から想像できるエリアの特性や個人のバリエーションはある程度想像できた。でも「関係性」に関連する作品は少なかったと思う。(開発さんと田原さんくらい?)

これは個々の作家の問題というよりは、コンセプトの共有の問題、だからディレクションとかキュレーションの問題なのかもしれない。でもエキスポだからそこは前提として用意されていなかったのかもしれないけど。

「隣人と幸せな日」の対訳としてある「Blend into the neighborhood」が私はずっとひっかかっていたので英英辞典で調べてみた。特に気になったのは「blend into」でそこに「幸せ」って意味が無いんじゃないかという疑問。

調べてみると、「Blend」は「to combine different things in a way that produce an effective or pleasant result, or to become combined in this way(異なるものを組み合わせて、効果的な、あるいは喜ばしい結果をもたらすようにすること。またはこのように結合された状態になること)」と訳されていたから、たしかに「喜ばしい」とか「効果的な」ことを期待して隣人に溶け込むことを意味している英文になっているなと納得した。

強く納得したのは「効果的な」という部分で。つまり「意図した通りの結果を生むこと」を期待していて実際にそういう結果(継続した物件の利活用)は生み出しているわけだから、今回のエキスポはよくデザインされた企画だったんだなという結論になる。

同時に、意図していない結果は考慮に入っていなかったんだろうな、意図した結果を得ることが最優先だったんだなという気にもなった。意図した結果のために動員された様々に対して悲しい気持ちにもなったけど、幸せは自分で掴まないといけないし幸せだと感じるのは主観だろうから、少なくとも私自身としては作家の力強さを見ることができて幸せだと思うようにしている。

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