知らないおじさんのバイクの後ろにノーヘルでつかまりレストランに連れていかれた、なんて書くと「なんて危ないことをしたんだ」と思われるかもしれないが、彼、Jorge(ホルヘ)はそれが仕事だったのだ。
ピラミッドは大きく3つあって、バスターミナルからすぐはケツアルコアトルのピラミッド、死者の道をずーっと歩いて右にあるのが最も大きな太陽のピラミッド、ドンツキには月のピラミッドがある。体力と相談して、太陽のみ頂上まで登ろうと決めた。歩いているといたるところでお土産物を売る人がいる。犬か何かの鳴き声を真似して人の興味を引き、アクセサリーや彫刻など売る。棚を肩にしょってあるきながら売る人もいれば、自分の場所にトランクを開いて並べる人もいる。人が溜まっているところを探して移動して売る。人がこないと判断すれば、すぐ棚やトランクをまとめて移動する。そのうちの1人の老人に話しかけた。私はケツアルコアトルの(できれば小さめの)彫刻が欲しかったのだ。しかしどうやら彼は持っていなかったらしい。「そこのケツアルコアトルのピラミッド登るでしょ。登って帰ってきたくらいに、探して用意しておくよ」と老人は言った。言葉に偽りなく確かに用意してあったので、感謝をして(少しばかりの値段交渉をして)購入した。
このどちらの体験も、メキシコ以外だと躊躇してやらない行動のはずだ。物価の安さからくるリスクの低さ(計算上の)がそうさせたのかもしれないが、それよりも何よりも彼らの仕事に対する姿勢が誠実だからと感じたのも大きな理由だ。
ピラミッドに登って降りて登って降りて歩いただけで、こんなにも仕事/役割について考えさせられるとは思わなかった。
バスターミナルで水を売る若者もそうだ。彼らはその役割に誠実で「それ以上の儲け」よりも何よりも自分の役割を遂行することにプライオリティがある。
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これは私の推測だが、彼らは貧困といえば貧困で、それは「貧困層」と言われる部分にあたる(はすだ)。そして彼らにとっての貧困は不幸と直結していない。貧困は解決すべき問題だが、日常の幸福は別のなにかから立ち上がる。
ホルヘも土産物屋の老人も水売りの彼も、お金がほしいのではない、生活がしたいだけなんじゃないか。
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以下はテオティワカンの博物館にあったものの写真です。CDMXの博物館には及ばないけれども、かなり個性的なものが展示されていました。
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