「語りの更新」


瀬尾さんから連絡があるまで私は質問などせず距離を置いてこの事実と関係しようと思っていた。この事実とは東京大空襲、3月10日に現在の墨田区の中心部から下にかけてのエリアが経験した事実のこと。



墨田区にいながら東京大空襲との関わりは強くなかった。鈴木一琥さんのダンス公演はもちろん見ているし、うちゅうばくはつがくだんの紙芝居を39アートin向島で見ている。山田薬局の山田さんから直接空襲のお話を聞くことはできなかった。すみだ郷土文化資料館で戦争紙芝居の展示を見たことがある。というくらいで、じゃあ自分が大空襲について何か思いを巡らせるという機会は語れるほどなかったと思う。

この秋ごろから、アーツカウンシル東京が行っている「東京プロジェクトスタディ」というプログラムに参加している。5つあるスタディのうち「スタディ4|部屋しかないところからラボを建てる」を選択した私は、このスタディがテーマとしている「聞く」ことについて課題を持っていた。知らない人に話を聞きたい。3度めのスタディ(2月まで6回ほど予定されている)は、東京大空襲・戦災資料センターで「東京大空襲」の著者であり「東京空襲を記録する会」の中心人物でもある早乙女勝元さんにお話をきくというお題だった。聞くといっても基本はNOOKのメンバーが中心となって早乙女さんと、センターの学芸員である山本さんに話を聞くというもので、スタディに参加している私の関心の中心は「聞いた後にどのように共有するのか」みたいなところにあった。一つのことに対して異なるスタディ参加メンバー10名がどんな「感じ」を持ち、語り、何がそこに立ち上がるのか。

10月14日がその日で、スタディの課題としてその日までに「東京大空襲」と早乙女勝元さんの著書をもう1つ読み感想を書くというものがあった。本を手に取り読み進めて私はその語られている内容、つまり東京大空襲の凄惨さと語りの切実さと語る早乙女さん本人の覚悟に、あてられた。仕事は手につかなくなり、悩むことが多くなり、友人とご飯を食べてもその話題を出すようになった。知ってしまった私は怖気づいて、14日の当日もこの事実とある一定の距離を保ちながら、自分の関心はスタディにあるとして過ごそうと思っていた。

13日はすみだ川ものコト市の日。牛嶋神社でスタッフTシャツを着てSNS用の写真を撮って投稿したり懐かしい人と話を盛り上げていたら瀬尾さんからFacebookのメッセージが届く。当日は質疑応答形式になりそうだから私にも(墨田区で活動しているし)質問をして欲しい、という内容だった。



私は逃げられないと覚悟を決めた。

体調も優れなかったからものコト市の打ち上げは辞退して帰宅し、シャワーを浴びて気持ちを整えて翌日のための質問を考えた。距離を一気に縮めたのだ。罪悪感を覚えた。急に辛くなった。今これを書いていても、つまり1週間近く経っても、辛い気持ちは変わらない。そしてこの「辛い気持ち」とやらは今まで空襲との距離を縮めて取り組んだり考えている人からすると「何を勝手な」と思われることかもしれない。私は墨東まち見世の事務局をはじめ墨田区で色々な出来事の裏方をしてきたから「墨田区ってどんなところで、どんな人がどんな面白いことをしていて、それはなぜできていて自分たちが同じようなことをするにはどうしたらいいか」のような質問をよく受ける。そして答える。答えるとき、墨田区のそうした出来事が起きているエリアが過去どのような時代を経験してきたかを語ることが多い。この過去のできごとを伝えるとだいたいの人がストンと理解してくれる。それが「関東大震災や東京大空襲の被害を免れたエリア」という言い方なのだ。

私はなんて軽々しく「東京大空襲の被害」という言葉を使っていたんだ。実際にどのようなことが起きたのかを知らずしてこの言葉を使っていた自分に愕然とした。

もう使えない、使いたくない、使えば使うほど本からにじみ出る風景が立ち上がる。

でも語らねばならない、語りたい。墨田区で何が起こっているか、私なりに見てきたことは伝えるべきことだと思う。(もちろん適切な範囲に、適切な温度感で、適切な時期に…。)

でもストンと理解させるにはあの言い方、事実を引用せざるを得ない。したくない、使いたくない、使うならその凄惨さも伝えなければならない。

ああ、私はどうしたらいいのか。



「聞いてしまった、知ってしまった、気づいてしまった責任ということに対してどのように向き合えばいいのか」という、早乙女さんへの質問に私はたどり着いた。これは質問というより罪悪感の告白、許しを請うことになってしまっていたかもしれない。実際は時間がなくて直接質問をすることは叶わなかった。でも早乙女さんのお話の後でセンターの3階に上がり学芸員の山本さんからのお話を聞いてスタディメンバーで話をする時、罪悪感について口にすることができた。山本さんはとても丁寧に優しく受け止めてくださって「語りの更新が必要、そのタイミングかもしれない」という切り口を見つけることができた。



感情を伴う記憶、その時に何をどのように感じたのかという記憶は時間がたつと変化をする、もしくは少しずつその姿を変えることがある。忘れないように記録するために書きなぐってみた。もしこの書き込みにタグづけをするなら「#書きなぐってみた」とでもなろうか。

どうせ明日になったら秋の味覚のことばかり考えるかもしれないし、明後日は月曜日で仕事だからまた売上のことに頭を悩ませるし代理店に対してきつい一言を言わなきゃなあという気分で憂鬱になるかもしれない。来月は11月で再来月は12月、もう年末じゃないか!クリスマスはあまり好きではないから温泉にでも行こうかな。ほら、こうして考えていると少しずつ薄れていく。

でも完全に忘れることはできない。「東京大空襲」の本との出会い、スタディの中で手にした質問を考えるというミッション、山本さんとの語りの中で導き出された「語りの更新」という節目。



さてどうしよう。

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