7月の頭にニューヨークへ行ってきました。その旅行記というよりはメモの集積。
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2日目
37分歩くか接続の悪いバスを乗り継ぐかUBERを使うか迷ったけれど歩くことにした。セントラルパークは走る人、自転車に乗る人、犬を散歩させる人、寝ている人、まあそういう光景はどこの国でも見ることができるけども、走る人/自転車に乗る人の本気さに少しびっくりした。
公園を抜けて少し歩くとトムズレストランに到着。コメディショーなど様々な舞台に使われる老舗のレストランだ。コロンビア大学にほど近い場所にある。NYに来たなら朝食を楽しもう、というブログを読んでここにたどり着いた。そのブロガーはニューヨーカー。「昔からどうしてもここが好き」という言葉を信じて来た。
正解だった。味はまあ、美味しいというか豪快というか、それでも朝に元気をくれるレベル。オムレツが美味しいそうだったのに、なぜか私はベーグルサンドを注文してしまった。悔しいのでまた明日来ようと思う。グッゲンハイム美術館へはバスが近い。バス亭で座っていたら店の外観をする地元っ子の姿がちらほら見えた。
グッゲンハイム美術館ではストーリーラインという展示が行われていたが、私はDoris Salcedoの個展を目当てにしていた。毛利悠子さんが展示のことを書かれていたのを見たのも理由の一つだ。私は良い作品を目の前にすると感動で寒気がして産毛が立つ。この展示中、私の産毛はずっと天を向いていた。
コロンビアにおける暴力の歴史。植民地時代や内乱時代。深い傷を負った今に続く歴史を強烈に伝える作品たちだった。私は作品を美しいと感じた。涙すら浮かべた。しかしその背景を知れば知るほどそうした私の感性や思考が信じられなくなってしまった。この感情は同情ではない。憐れみでもない。なぜこの強烈な傷を私は美しいと捉えてしまったのか。美しい、という言葉の持つ意味を重層的に理解しなければ。
グッゲンハイムからメトロを乗り継いでMoMAPS1にたどり着いた。廃校をリノベーションして作られたMoMAだからPublic Schoolというわけ。中庭には大きなビオトープの作品が設置され、入口の黒板には当日の展示についての説明がチョークで書かれていた。定番やね。
その日は8つほどの展示が行われていた。Samara Goldenの天地がゆがむインスタレーション。Simon Dennyのかなりセンスのぶっ飛んだイノベーション批判の展示。他色々。何より私はWael Shawkyの映像とその映像に使われたパペットの展示に目を奪われた。ガラスで作られた操り人形が演じる退廃的な物語。
PS1のカフェで昼食を取る。チキンのサンドウィッチを注文したら名前を聞かれた。出来上がりを持っていくときに名前が必要なんだとか。慣れない私は苗字を伝えてしまった。下の名前にしておけばよかった。とっても呼びにくそうにしていたし、私も聞き取りづらくてそれが自分のことなのかどうか判断がつきづらかった。
グーグルマップを見るとブルックリンのグリーンポイントが近いとわかったので、移動した。川沿いの公園は穏やかな雰囲気でよい。小型飛行機が空を飛んだ。ヒコーキやろうの面々に見せたいな、この風景。ギャラリーは閉まっている場所がほとんどだった。グラフィティは、場所によってかっこいいものがいくつかあった。
このグリーンポイントはブルックリン最北の街。そのまた北の外れにあるEagle Trading Companyで休憩。珈琲が美味しい。ギャラリーを探してまた歩くけれども見つからない。仕方ない。ところでおそらく元々住居だったであろう区画が緑が一杯のスペースになっている場所が散見された。
調べるとNYRP(New York Restoration Project)という団体が主体で運営しているプログラム。空き地を率先してグリーンポイントにしてしまい、そこを地域住民の憩いの場やイベントスペースとして活用している。教育、芸術文化、農場など様々なプログラムを企画運営。運営役員としてファッションデザイナーなど識者を揃えているあたり、ちゃんとした団体なんだなと想像できる。ところでどのグリーンポイントでも近所の人がBBQをしていたり子どもがはしゃいだりと盛り上がっていたのは印象的だった。
Bushwickという場所に移動しようとしたが、途中のMontroseAveの近くにあるギャラリーが気になったので途中下車。そこはマンションの一室、つまり自宅をギャラリーにしているらしい。呼び鈴を鳴らすとギャラリストの弟さんという方が登場。ご本人がまだ帰っていないので見せられないとのこと。アポイントメントを取って後日に訪れることに。
さてそこからBushwickまでは歩ける距離のようだ。グーグルマップがそう言っている。歩いて移動すると人気がなくなっていく。グラフィティが増えていく。ゴミや廃車が増えていく。両端の建物から私を眺めている人の姿がある。私はなるべく堂々と、そして早歩きにそのエリアを通り過ぎようとしたが、案外広くて焦った。
よしやっとBushwickだと安心しようとしたが、先ほど歩いてきた人気の無い一見危なそうなエリアという意味ではBushwickも変わらなかった。違っている点は、いくつかのギャラリーや雑貨屋やカフェがあるくらいで、街の様子は先ほど歩いてきた緊張感のあるエリアとあまり変わらない。それは面白い状況だった。
BOGARTという建物の中にギャラリーがいくつかあるのだけれども、ほとんどが展示入れ替えの最中で空いていなかった。仕方ない。周辺のギャラリーを探すことにした。途中ドンツキを発見した。ギャラリーが一つ見つかった。大きな倉庫を改装したClearing Pointという場所だ。実は今日訪れることができたのはここだけだった。
Bushwickは他のブルックリンの街とは少し違う印象だ。まずスターバックスが無い。緊張感が残っている。お金を出したとしても簡単に楽しめる様子ではない。不法占拠なのかアートスペースなのかよくわかない場所まである。どこか気になる場所なので、あと何回か訪れようと思う。
夜はTONY PRIZE 2015のBEST MUSICALを見に行く予定だ。それまで少し時間があるのでグリーンポイントに戻ってFIVE LEEVESで軽めの夕食をとる。オススメされたサラダは一人で食べるには量が多すぎたけれども美味しかった。フロマージュは複雑に上品な味で私の好みだった。
タイムズスクエア近くの今晩も移動する。舞台をぐるりと観客が取り囲むスタイル。私の席は演奏者たちの真裏とかなりのベストプレイス。バイオリニストの細やかな表情なんかも見ようと思えば見れる。しかし舞台上で行われる物語展開に釘付けになってしまい他の何かをみる余裕はほとんどなかった。
いやそれは嘘だ。右斜め前あたりに座っていた老紳士が途中で席を立ったのが見えた。その紳士の左前あたりに座っていた老婦人も席を立って帰った。何に不満だったのだろうか。体調でも悪くされたのであろうか。それとも同性愛をテーマにした物語に耐えられなくなったのだろうか。FUN HOMEというこの舞台はレズビアンの娘とゲイの父親を中心とした家族ドラマだ。
格式や形式を重んじる父親に育てられた主人公は、自分がレズビアンであることに気づいたときに大いに葛藤したが、パートナーの手助けもあって克服した。そしてレズビアンである自分に対してオープンに向き合い人にも伝えた。しかし父親はゲイである自分を押し殺した。教師時代に教え子と関係したことも隠していた。
正直に告白すると台詞の全てを理解する事ができなかった。英語の勉強をせねば、ねば。しかし設定から生み出されるコミュニケーションの辛さ。母親が娘に対して投げかける言葉のひとつひとつ。父親の葛藤。大団円ではない終わり方。もう一度、このミュージカルは見たいし、見た人の感想や意見を聞きたい。特に、途中で席を立った方に話を聞きたい。
気がつくと今日も23時を過ぎていた。24時間動いているメトロにはまだまだ人がいる。安心してイーストハーレムにまで戻り、途中のデリでアイスと炭酸水を買い、部屋に戻って眠る。明日はメトロポリタン美術館だ。
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2日目
37分歩くか接続の悪いバスを乗り継ぐかUBERを使うか迷ったけれど歩くことにした。セントラルパークは走る人、自転車に乗る人、犬を散歩させる人、寝ている人、まあそういう光景はどこの国でも見ることができるけども、走る人/自転車に乗る人の本気さに少しびっくりした。
UBERやってるタクシーの多いこと多いこと
セントラルパークの湖は気持ちがよいけどゴミも浮いている
公園を抜けて少し歩くとトムズレストランに到着。コメディショーなど様々な舞台に使われる老舗のレストランだ。コロンビア大学にほど近い場所にある。NYに来たなら朝食を楽しもう、というブログを読んでここにたどり着いた。そのブロガーはニューヨーカー。「昔からどうしてもここが好き」という言葉を信じて来た。
カウンターに座ってみた
どうやらJerry Seinfeldて人のショーに出たらしい
正解だった。味はまあ、美味しいというか豪快というか、それでも朝に元気をくれるレベル。オムレツが美味しいそうだったのに、なぜか私はベーグルサンドを注文してしまった。悔しいのでまた明日来ようと思う。グッゲンハイム美術館へはバスが近い。バス亭で座っていたら店の外観をする地元っ子の姿がちらほら見えた。
卵とソーセージがまたよく合うんです
撮影している人の姿はちらほら見られる
グッゲンハイム美術館ではストーリーラインという展示が行われていたが、私はDoris Salcedoの個展を目当てにしていた。毛利悠子さんが展示のことを書かれていたのを見たのも理由の一つだ。私は良い作品を目の前にすると感動で寒気がして産毛が立つ。この展示中、私の産毛はずっと天を向いていた。
グッゲンハイム美術館
サイモン藤原さんやマシュー・バーニー他
コロンビアにおける暴力の歴史。植民地時代や内乱時代。深い傷を負った今に続く歴史を強烈に伝える作品たちだった。私は作品を美しいと感じた。涙すら浮かべた。しかしその背景を知れば知るほどそうした私の感性や思考が信じられなくなってしまった。この感情は同情ではない。憐れみでもない。なぜこの強烈な傷を私は美しいと捉えてしまったのか。美しい、という言葉の持つ意味を重層的に理解しなければ。
Doris Salcedo
Doris Salcedo
グッゲンハイムからメトロを乗り継いでMoMAPS1にたどり着いた。廃校をリノベーションして作られたMoMAだからPublic Schoolというわけ。中庭には大きなビオトープの作品が設置され、入口の黒板には当日の展示についての説明がチョークで書かれていた。定番やね。
外観
中庭にあった大掛かりな作品
黒板は定番ですね
その日は8つほどの展示が行われていた。Samara Goldenの天地がゆがむインスタレーション。Simon Dennyのかなりセンスのぶっ飛んだイノベーション批判の展示。他色々。何より私はWael Shawkyの映像とその映像に使われたパペットの展示に目を奪われた。ガラスで作られた操り人形が演じる退廃的な物語。
Samara Golden
Wael Shawkyのキャプション
PS1のカフェで昼食を取る。チキンのサンドウィッチを注文したら名前を聞かれた。出来上がりを持っていくときに名前が必要なんだとか。慣れない私は苗字を伝えてしまった。下の名前にしておけばよかった。とっても呼びにくそうにしていたし、私も聞き取りづらくてそれが自分のことなのかどうか判断がつきづらかった。
「いよぅねすぅわぁわ」と呼ばれてしまう
グーグルマップを見るとブルックリンのグリーンポイントが近いとわかったので、移動した。川沿いの公園は穏やかな雰囲気でよい。小型飛行機が空を飛んだ。ヒコーキやろうの面々に見せたいな、この風景。ギャラリーは閉まっている場所がほとんどだった。グラフィティは、場所によってかっこいいものがいくつかあった。
廃工場の中にあるアンティーク家具のお店
奥の方にはハリウッド映画のスタント学校が
けたたましい音をたてて小型飛行機が飛び上がり着水していた
川に近づくにつれて人通りが減りグラフィティが増える
このグリーンポイントはブルックリン最北の街。そのまた北の外れにあるEagle Trading Companyで休憩。珈琲が美味しい。ギャラリーを探してまた歩くけれども見つからない。仕方ない。ところでおそらく元々住居だったであろう区画が緑が一杯のスペースになっている場所が散見された。
浅煎りの珈琲のフルーティーさが印象的
緑が多いまちなみは住所表記を木に直接している…
調べるとNYRP(New York Restoration Project)という団体が主体で運営しているプログラム。空き地を率先してグリーンポイントにしてしまい、そこを地域住民の憩いの場やイベントスペースとして活用している。教育、芸術文化、農場など様々なプログラムを企画運営。運営役員としてファッションデザイナーなど識者を揃えているあたり、ちゃんとした団体なんだなと想像できる。ところでどのグリーンポイントでも近所の人がBBQをしていたり子どもがはしゃいだりと盛り上がっていたのは印象的だった。
Bushwickという場所に移動しようとしたが、途中のMontroseAveの近くにあるギャラリーが気になったので途中下車。そこはマンションの一室、つまり自宅をギャラリーにしているらしい。呼び鈴を鳴らすとギャラリストの弟さんという方が登場。ご本人がまだ帰っていないので見せられないとのこと。アポイントメントを取って後日に訪れることに。
人通りがどんどん無くなっていく
さてそこからBushwickまでは歩ける距離のようだ。グーグルマップがそう言っている。歩いて移動すると人気がなくなっていく。グラフィティが増えていく。ゴミや廃車が増えていく。両端の建物から私を眺めている人の姿がある。私はなるべく堂々と、そして早歩きにそのエリアを通り過ぎようとしたが、案外広くて焦った。
ここももしかしたらギャラリーとかあったのかもしれない
よしやっとBushwickだと安心しようとしたが、先ほど歩いてきた人気の無い一見危なそうなエリアという意味ではBushwickも変わらなかった。違っている点は、いくつかのギャラリーや雑貨屋やカフェがあるくらいで、街の様子は先ほど歩いてきた緊張感のあるエリアとあまり変わらない。それは面白い状況だった。
グラフィティの境目がよくわからない
何の工場なんだろう
BOGARTという建物の中にギャラリーがいくつかあるのだけれども、ほとんどが展示入れ替えの最中で空いていなかった。仕方ない。周辺のギャラリーを探すことにした。途中ドンツキを発見した。ギャラリーが一つ見つかった。大きな倉庫を改装したClearing Pointという場所だ。実は今日訪れることができたのはここだけだった。
地下には雑貨屋がはいっていた
倉庫そのものカラフルなclearing gallery
Harold Ancartのpainting
Bushwickは他のブルックリンの街とは少し違う印象だ。まずスターバックスが無い。緊張感が残っている。お金を出したとしても簡単に楽しめる様子ではない。不法占拠なのかアートスペースなのかよくわかない場所まである。どこか気になる場所なので、あと何回か訪れようと思う。
不法占拠みたいな場所やけどかっこいい
ニューヨークドンツキを発見した
Google Mapで見たドンツキ
夜はTONY PRIZE 2015のBEST MUSICALを見に行く予定だ。それまで少し時間があるのでグリーンポイントに戻ってFIVE LEEVESで軽めの夕食をとる。オススメされたサラダは一人で食べるには量が多すぎたけれども美味しかった。フロマージュは複雑に上品な味で私の好みだった。
ナッツの味がいい感じのサラダ
少し固めに仕上がったフロマージュ
タイムズスクエア近くの今晩も移動する。舞台をぐるりと観客が取り囲むスタイル。私の席は演奏者たちの真裏とかなりのベストプレイス。バイオリニストの細やかな表情なんかも見ようと思えば見れる。しかし舞台上で行われる物語展開に釘付けになってしまい他の何かをみる余裕はほとんどなかった。
グルグルと舞台が変化する
いやそれは嘘だ。右斜め前あたりに座っていた老紳士が途中で席を立ったのが見えた。その紳士の左前あたりに座っていた老婦人も席を立って帰った。何に不満だったのだろうか。体調でも悪くされたのであろうか。それとも同性愛をテーマにした物語に耐えられなくなったのだろうか。FUN HOMEというこの舞台はレズビアンの娘とゲイの父親を中心とした家族ドラマだ。
格式や形式を重んじる父親に育てられた主人公は、自分がレズビアンであることに気づいたときに大いに葛藤したが、パートナーの手助けもあって克服した。そしてレズビアンである自分に対してオープンに向き合い人にも伝えた。しかし父親はゲイである自分を押し殺した。教師時代に教え子と関係したことも隠していた。
正直に告白すると台詞の全てを理解する事ができなかった。英語の勉強をせねば、ねば。しかし設定から生み出されるコミュニケーションの辛さ。母親が娘に対して投げかける言葉のひとつひとつ。父親の葛藤。大団円ではない終わり方。もう一度、このミュージカルは見たいし、見た人の感想や意見を聞きたい。特に、途中で席を立った方に話を聞きたい。
隣はwickedだった
気がつくと今日も23時を過ぎていた。24時間動いているメトロにはまだまだ人がいる。安心してイーストハーレムにまで戻り、途中のデリでアイスと炭酸水を買い、部屋に戻って眠る。明日はメトロポリタン美術館だ。
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