7月の頭にニューヨークへ行ってきました。その旅行記というよりはメモの集積。
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1日目
機内でソロモンの偽証を見る。お昼ごろJFK国際空港に到着。空港内電車のロゴが可愛くて思わず激写。メトロに向かう改札でメトロカードのアンリミテッド(7日間乗り放題)をゲット。階段を降りてホームに立つと、NYの激しくも多様な人が存在している雑多な感じに少し疲れる。
「E」と書かれた青い線に乗ってlexintonAVまで移動。車内の隅っこには黒いゴミ袋に今日の収穫を詰め込んで寝ている人がいた。その寝ているポーズがとても変わっていたので写真に撮ろうかどうか迷ったけれども、そういう雰囲気が一切ないからやめておいた。
「E」から「6」へ乗り換えてUpTownへ。イーストハーレムの南端ほどにある駅で降りて、今回AIRBnBを使って宿泊するフラットへ移動。1階のデリで鍵をゲットして5階へ。部屋には誰もいない。アーティスト/エデュケーターだということを部屋に入って初めて知る。どこの美術館に関わっているんだろう。
さて今日はチェルシーに移動したばかりだというホイットニー美術館へ。時差も抜けきれていない寝ぼけた頭だけど時間は無駄にできない。チェルシーに向かうメトロの路線をグーグルマップで検索。乗り換えの情報から駅を降りてからの道まで全てわかる。グーグル先生万歳。
チェルシーは高級地区⇒港湾労働者やアイルランド移民の居住区⇒SOHOから流れたアーティストやギャラリーの受け皿という変遷がある地域。現在は廃線を利用したハイラインが都市公園として再生され盛り上がっているとのこと。スタンダードホテルの下にあるスタンダードグリルなんか人で一杯だった。
ホイットニー美術館はたいした列もなく中に入ることができた。中はどの階も鑑賞者で一杯。ギャラリートークがいたる所で行われていた。「静かに鑑賞するべきだ!静かにしろ!」と言う人がもしその場にいたら、少し冷めた目で見られるんじゃないかと思うくらい、作品について活発な意見が交わされていた。
眠たくて歩きながらウトウトしてしまうこともあったけれど。アメリカの美術史を再考する大掛かりな展示が行われていたこともあって、目の覚める区画も多かった。後日MoMAでも移民に関する展示やラテンアメリカの建築に関する展示を見たが、自国について考える展示がしっかりと組まれているのが見れてよかった。
ハイラインを歩いてみたけれど疲れていたこともあって「通り過ぎた」だけになってしまった。上からチェルシーを眺めると見覚えのある青いボトルのカフェを見つけたので降りてアイスコーヒーとマフィンを食べた。先ほど簡単に「降りた」と言ったが迷路の様に入り組んでいた。疲れが倍増したのは言うまでもない。
グーグルマップを開いてギャラリーを探すといたるところにギャラリーアイコンが表示されていたので「探す」のを止めて歩いた。大小様々なギャラリーの扉を何度も開閉して作品を見るのは、ある意味体力がいる。樹脂を使った大掛かりな彫刻や、新聞や雑誌の切抜きを使ったグラフィティ作品、
シンプルな柄の素材を組み合わせたドローイングとも彫刻とも取れる作品や、アンティーク素材のようなものを組み合わせて作られた呪術的な箱、まな板に包丁でつけた傷とその汚れで表現した彫刻、「おまえのけつの匂いをかいでやる」と言いたげな椅子の彫刻やドアノブのダミーが並ぶインスタレーション。
浴びるように作品を見ながら「これでいいのか」と疑問に思ったと正直に言う。日本でも「今日はギャラリー巡りの日」と設定して動くこともあるから、それ自体を否定するつもりはない。ただ浴びるように見るよりは、ひとつひとつの作品/作家/ギャラリーを丁寧に見る日も作りたかった。(旅程からして無理だけど)
今日の締めくくりにタイムズスクエアへ移動する。TONY PRIZE 2015のBEST PLAY「THE CURIOUS INCIDENT OF THE DOG IN THE NIGHT-TIME」を見に行くのだ。開場の時間まで1時間ほどあるから、映画やニュースでよくみるあの広場に行ってみる。たくさんの観光客と大道芸人、観光ツアーの呼び込み、そして電光掲示板が見慣れた風景を作っていた。これか。
当然のごとく流れている映像や広告に統一感はない。その日のその時間を買われた枠がスポンサーが求める広告を流しているにすぎない。映画やニュースで見るあのある種の美しさは、わかってはいたけれども、それ自体が非現実の瞬間なんだろうなあ。タイムズスクエアを身近に感じることができてよかったと思う。しかない。
時間が余る。指定席を取っているから行列に並ぶのは時間の無駄としか思えない。何を思ったか私はM&Mのショップに入ってしまった。チョコレートの甘い匂いと、どこか完成度の低いアトラクション。なんともいえない安心感を覚えながら、ショップを出るとBroadwayと書かれた看板に鳩が群がっていた。
舞台が始まった。方眼紙のようなミニマルな舞台装置と思っていたら、このスクエアから生み出される表現の幅広さに舌を巻く。プロジェクションマッピングは当然のように繰り広げられ、壁が新たな文脈を生み出し続ける。そして壁が動いた。穴が開いた。重力が移動した。観客に向けて以外は全て閉鎖されているかのように見える舞台。主人公のクリストファーは自閉症の少年だ。閉じた世界、閉じた頭の中を表現しているのかと思っていたけど、それは違う。この舞台は彼の頭の中ではなくて、彼が見ている世界そのものだった。
他者が世界をどう見ているのか、どうつなげているのか、理解しているのか。今回は自閉症の少年という「わかりやすい」他者を通じてではあるけれども、もしかすると「同じ人間だ」と思っていた隣人や友人や知人や通行人全てが、こんな風に世界を見ているのかもしれないと思わせるほどだった。つまり現実味のある異常さ。ラストの「I can do everything!」は見ている人全てに言えることなんだろうと思う。
ALEX SHARPの演技はほんとに素晴らしかった。声に力があった。声を出そうとする感情に力があった。彼は自閉症を演じたのではなくてクリストファーを演じていた。この違いはとても重要だ。
終演後、とても気持ちのよい気分で夜のタイムズスクエアを歩く。夕方のそれとあまり違いはなかった。電光掲示板の光量が強いんだなという印象しかあまりない。メトロにのってイーストハーレムに戻る。23時を過ぎている。暗闇を歩くのは少し怖かった。けどまあ、緊張まではしなかったかな。デリでアイスクリームと炭酸水を買って帰宅。明日に備える。
1日目終了。
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1日目
機内でソロモンの偽証を見る。お昼ごろJFK国際空港に到着。空港内電車のロゴが可愛くて思わず激写。メトロに向かう改札でメトロカードのアンリミテッド(7日間乗り放題)をゲット。階段を降りてホームに立つと、NYの激しくも多様な人が存在している雑多な感じに少し疲れる。
虹が見えた
ターミナルとターミナルを結ぶ電車のロゴ
「E」と書かれた青い線に乗ってlexintonAVまで移動。車内の隅っこには黒いゴミ袋に今日の収穫を詰め込んで寝ている人がいた。その寝ているポーズがとても変わっていたので写真に撮ろうかどうか迷ったけれども、そういう雰囲気が一切ないからやめておいた。
どんどん人種が増えていく
「E」から「6」へ乗り換えてUpTownへ。イーストハーレムの南端ほどにある駅で降りて、今回AIRBnBを使って宿泊するフラットへ移動。1階のデリで鍵をゲットして5階へ。部屋には誰もいない。アーティスト/エデュケーターだということを部屋に入って初めて知る。どこの美術館に関わっているんだろう。
玄関にあった小さなポップ
写真作品もあった
さて今日はチェルシーに移動したばかりだというホイットニー美術館へ。時差も抜けきれていない寝ぼけた頭だけど時間は無駄にできない。チェルシーに向かうメトロの路線をグーグルマップで検索。乗り換えの情報から駅を降りてからの道まで全てわかる。グーグル先生万歳。
働く大人たち
チェルシーは高級地区⇒港湾労働者やアイルランド移民の居住区⇒SOHOから流れたアーティストやギャラリーの受け皿という変遷がある地域。現在は廃線を利用したハイラインが都市公園として再生され盛り上がっているとのこと。スタンダードホテルの下にあるスタンダードグリルなんか人で一杯だった。
まだまだ建設中
アメリカVS日本の女子WC時の盛り上がりは怖かった
ホイットニー美術館はたいした列もなく中に入ることができた。中はどの階も鑑賞者で一杯。ギャラリートークがいたる所で行われていた。「静かに鑑賞するべきだ!静かにしろ!」と言う人がもしその場にいたら、少し冷めた目で見られるんじゃないかと思うくらい、作品について活発な意見が交わされていた。
河原温さんの作品についてのディスカッションは活発だった
眠たくて歩きながらウトウトしてしまうこともあったけれど。アメリカの美術史を再考する大掛かりな展示が行われていたこともあって、目の覚める区画も多かった。後日MoMAでも移民に関する展示やラテンアメリカの建築に関する展示を見たが、自国について考える展示がしっかりと組まれているのが見れてよかった。
ホイットニー美術館の屋上から他の階上を見る
左側にはカフェやクラフトグッズを売る市があった
廃線はちょっとテンション上がる
サードウェーブデビューできた
グーグルマップを開いてギャラリーを探すといたるところにギャラリーアイコンが表示されていたので「探す」のを止めて歩いた。大小様々なギャラリーの扉を何度も開閉して作品を見るのは、ある意味体力がいる。樹脂を使った大掛かりな彫刻や、新聞や雑誌の切抜きを使ったグラフィティ作品、
シンプルな柄の素材を組み合わせたドローイングとも彫刻とも取れる作品や、アンティーク素材のようなものを組み合わせて作られた呪術的な箱、まな板に包丁でつけた傷とその汚れで表現した彫刻、「おまえのけつの匂いをかいでやる」と言いたげな椅子の彫刻やドアノブのダミーが並ぶインスタレーション。
浴びるように作品を見ながら「これでいいのか」と疑問に思ったと正直に言う。日本でも「今日はギャラリー巡りの日」と設定して動くこともあるから、それ自体を否定するつもりはない。ただ浴びるように見るよりは、ひとつひとつの作品/作家/ギャラリーを丁寧に見る日も作りたかった。(旅程からして無理だけど)
とあるギャラリーの天窓にLat/Longが書かれていた
今日の締めくくりにタイムズスクエアへ移動する。TONY PRIZE 2015のBEST PLAY「THE CURIOUS INCIDENT OF THE DOG IN THE NIGHT-TIME」を見に行くのだ。開場の時間まで1時間ほどあるから、映画やニュースでよくみるあの広場に行ってみる。たくさんの観光客と大道芸人、観光ツアーの呼び込み、そして電光掲示板が見慣れた風景を作っていた。これか。
自撮り棒だらけだった
当然のごとく流れている映像や広告に統一感はない。その日のその時間を買われた枠がスポンサーが求める広告を流しているにすぎない。映画やニュースで見るあのある種の美しさは、わかってはいたけれども、それ自体が非現実の瞬間なんだろうなあ。タイムズスクエアを身近に感じることができてよかったと思う。しかない。
真ん中下部に見えるのは観客席
チョコレートの甘い匂いが強烈だ
時間が余る。指定席を取っているから行列に並ぶのは時間の無駄としか思えない。何を思ったか私はM&Mのショップに入ってしまった。チョコレートの甘い匂いと、どこか完成度の低いアトラクション。なんともいえない安心感を覚えながら、ショップを出るとBroadwayと書かれた看板に鳩が群がっていた。
鳩が休憩している様子を見上げる人はそんなにいなかった
これ全員チケットを購入しているけど待ちきれずに並んでいる人々
舞台が始まった。方眼紙のようなミニマルな舞台装置と思っていたら、このスクエアから生み出される表現の幅広さに舌を巻く。プロジェクションマッピングは当然のように繰り広げられ、壁が新たな文脈を生み出し続ける。そして壁が動いた。穴が開いた。重力が移動した。観客に向けて以外は全て閉鎖されているかのように見える舞台。主人公のクリストファーは自閉症の少年だ。閉じた世界、閉じた頭の中を表現しているのかと思っていたけど、それは違う。この舞台は彼の頭の中ではなくて、彼が見ている世界そのものだった。
いたるところに仕掛けがちりばめられている
他者が世界をどう見ているのか、どうつなげているのか、理解しているのか。今回は自閉症の少年という「わかりやすい」他者を通じてではあるけれども、もしかすると「同じ人間だ」と思っていた隣人や友人や知人や通行人全てが、こんな風に世界を見ているのかもしれないと思わせるほどだった。つまり現実味のある異常さ。ラストの「I can do everything!」は見ている人全てに言えることなんだろうと思う。
ALEX SHARPの演技はほんとに素晴らしかった。声に力があった。声を出そうとする感情に力があった。彼は自閉症を演じたのではなくてクリストファーを演じていた。この違いはとても重要だ。
終演後、とても気持ちのよい気分で夜のタイムズスクエアを歩く。夕方のそれとあまり違いはなかった。電光掲示板の光量が強いんだなという印象しかあまりない。メトロにのってイーストハーレムに戻る。23時を過ぎている。暗闇を歩くのは少し怖かった。けどまあ、緊張まではしなかったかな。デリでアイスクリームと炭酸水を買って帰宅。明日に備える。
ここをスパイダーマンが飛んだんだなあ
どこの国にもあるいたずら at メトロのポスター
夜中のメトロは少し怖いけど人が必ずいて安心する
1日目終了。
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