9. 赤道をGPSで計測してきた / エクアドル旅行記

アーティストの谷山恭子さんからいただいた依頼。GARMINのGPSロガーをお借りして赤道の緯度と経度を計測してきました。赤道は地球のちょうど真ん中を走る線。北緯と南緯のちょうど真ん中。つまり00°00’00”になるはずです。

今回は3箇所計測を行いました。1つ目は赤道記念碑。2つ目は赤道記念博物館(インティニャン博物館)。3つ目は赤道記念博物館から少し離れた路上です。先にネタばらしをいたしますがN00°00’00”を計測できた場所、つまり赤道は3つ目の路上でした。

宿泊していたホテルからトラムに乗ってバスターミナルへ。表示を確認して乗車。途中で乗り換えがあったのですが、なんとか成功。赤道記念碑のバス停に到着しました。この日はとても良い天気で風も強く、乾いた土が舞い上がる陽気でした。メガネを何度も布で拭きながら前へ進みます。

記念碑周辺はよく整備された観光地となっていて、飲食店や土産物屋が充実。土産物屋は店舗ごとに特徴があり、一つ一つ見ていても飽きません。まだ早い時間に到着したので人は少なかったのですが、帰る時はかなりの人が訪れていました。


赤道記念碑はとても大きな石造りのモニュメント。中に入ることができます。展望台になっていて赤道からの眺めを楽しむことができるのですがGPSで計測するとS00°00’07.8”です。赤道ではありません。残念。GPSの無い時代、とある科学者が計算して「ここが赤道だ」と言ったため作られたモニュメントだとか。その誤差約数百メートルです。残念。


さてそこから道なりに歩いて数百メートル先にインティニャン博物館(※1)があります。多肉植物がひしめきあう細い道を行くとこじんまりとした建物。まだ進むと赤道を示す赤い線と「LATITUD: 00°00’00”」と書かれた小さなモニュメント。



さあここが目指した赤道だ…ではありません。GPSを確認するとS00°00’04.0”と表示されてしまいました。(スタッフの目に触れるとたぶん気を悪くされるのではないかと思い、こっそり計りました。)

赤道記念碑に表示された数字と博物館での数字から推測して、私はもう少し歩きます。細かくGPSを確認しながら00°00’00”を目指して歩きます。博物館の事務所を越え、駐車場を越え、道路を越えた辺りでやっと00°00’00”になりました!


ここがどうやら赤道上のようです。誰かに共有したい気分になりましたが、この場所ではS00°00’04.0”の赤い線を赤道として皆さん楽しまれているのです。タマゴが立つと盛り上がっているわけです。


排水口に流れる水の回転が北半球と南半球で違うことや赤道上では回転せずに流れ出ることを盛り上がるわけです。


赤道上で目を閉じて歩く実験を行列を作りながら楽しむわけです。


赤道上で弱まる力の実験をペアになってやりながら、みんな「おお!ほんとだ!すごい!」と盛り上がるわけです。私はスタッフさんとペアになって実験をしました。どちらかが赤道の上に立ち、組んだ手を肩より上に持ち上げます。もう片方がその手を上から押さえつけます。赤道上にいると押さえ込まれる手に勝てない、というわけですが私は勝てないフリをしました。一応。


そんなある種の集団催眠状態にある人に対して「そこ赤道とちゃいますよ」なんて言えません。

ツアーはとても楽しいものでしたよ。ガイドの説明も上手ですし、内容も赤道のことだけではなく先住民族の風俗についてなどかなり丁寧。休憩場所では先住民族に伝わる音楽や踊りのパフォーマンスがありました。入場料3ドルでこれだけの内容はかなりお得ではないでしょうか。

エクアドルに行く際はぜひ、赤道記念碑を見上げ、赤道博物館を楽しみ、そして本当の赤道の存在について思いを馳せてください。


エクアドルにとって赤道は象徴です。エクアドルという国名はスペイン語で「赤道」を意味します。スペインやコロンビアから独立する際、それぞれ歴史的価値や個性の強いキトやクエンカやグアヤキルといった国内諸地域の意見をまとめるため、あくまで妥協点として「赤道でいいじゃん」と決まりました。

独立後もペルーなど周辺諸国との領土問題や、激動の国内情勢を生き抜いたエクアドル。妥協の産物としての国名に求心力があったのでしょうか。巨大な記念碑の必要は容易に想像できます。
「エクアドル人」とは何か。妥協としての国名を持つエクアドルでは、この問題は根深いものとして扱われます。「エクアドル人」とは何か。その問題の原因は国名だけではなく民族構成にもあります。白人、白人と原住民との混血、多様な原住民、奴隷として連れてこられたアフリカの人々、流れついたアジア人などなど。スペイン統治を経たエクアドルを構成する民族はとても複雑で多様です。

ナショナリズムがおこりづらいこの状況で「自分たちはエクアドル人である」というアイデンティティを持ちだした人々がいます。国内の家族を養うために出稼ぎに出た労働者たちです。国を離れることで国民としての意識が生まれたのです。こうした人々はいずれエクアドルに戻り、社会を形成します。

私がエクアドルに行くことを決めたきっかけであるビエンナーレ「12 Bienal de Cuenca」のテーマは「Ir para volver」でした。(英語に直すと「Leaving to return」、日本語に訳すと「戻るために行く」でしょうか。)今そこにいない。しかし必ず帰ってくる強い存在。共存できない価値観や対立する考え方を強く持って戻ってくるかもしれないその不在という強い存在との対話が解釈の一つでした。

エクアドルの人々が直面する「エクアドル人とは何なのか」という問題。これからエクアドルはどのような変化を見せるのでしょうか。とても興味深い国です。


※1 Intiñan Museum
http://www.museointinan.com.ec/

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