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書かなくなりそうだから、という理由で。

環境が変化し、例えば河から海に生き場所を変えたような気がしたので、とにかく潮の流れを読んでみたり浮き沈みを繰り返して酸素を補給したりエネルギーを充填するような毎日を過ごしていると、こうして落ちついて文章を書く機会が減った。

(ここで、語尾を「〜ました」にするか「〜った」にするかで小一時間悩むくらい、書くことから離れている)

機会が減ったなどと環境の責任にしていますが、甘えているんだと自分でわかっています。ええ。これでは2012年の初めの決心「もっと書こう」がグズグズのブイヨンだ。ほらこうして書く癖がついていないから「グズグズのブイヨン」と書くのに時間がかかっている。

ここ数日は、向島でアートプロジェクトに関わってらっしゃる方々を取材してその濃密な10年に驚いた。本を作るプロジェクトの準備を考えた。セックスについて大いに冷めたり、でも一番のエロは触らない事なんじゃないかと考えてみた。

そうそうエロについて男女4人で夜遅く3時頃まで語ったのはとても素敵な時間だった。「触れるが見えない」セックスと「見えるが触れない」セックスとどちらがよいか。視覚と触覚のどちらを大事にしているのかによって答えが違う。聞くと視覚や聴覚は対象と距離をとる事ができるので高級感覚で、触覚や味覚や嗅覚は対象との距離がゼロであるため低級感覚らしい。

視覚から触覚を想像することができるから視覚だけで満足できるかもしれない。触覚から視覚を想像することができるから触覚だけで満足できるかもしれない。「見えない」状況を目隠しされていると捉える人、「触れない」状況を拘束されていると捉えて楽しむM性のある人はまた違う満足を手に入れるだろう。

何か一つ感覚を制限される事で、残りの感覚が鋭敏になり新しい感覚が得られる事がある。私はこれに次の体験を付け加えたい。残りの感覚が鋭敏になる事を楽しむだけで終わるのでなく、全ての感覚を鋭敏に鍛え上げ、その後で、五感を完全に研ぎ澄ませて楽しむ体験を。


ああ、ほら、書けない。書くことが思いつかない。書こうとするだけでは書けない。何か題が見つからなければ何も書けないではないか。こんな短文を打ち込むだけでどれくらいの時間が経っているか、確認するのも恐ろしい。あ、47分も経っている。

47分といえば50分まであと3分。60分まであと13分。13という数字は縁起が悪い。本当に縁起が悪いのか。ジェイソンを想像しているだけではないか。イメージだけで印象の良し悪しが変わる、なんて恐ろしい。そういえば「death」という単語を聞いて恐ろしいと感じるのは「死」をイメージしているからで、死ぬことが怖いから「death」が恐ろしい。本当にそうか? 死ぬことを恐れていない人に「death」はどんな印象を与えるだろうか? 聞いてみたい。いやいや「死」という漢字は骨を人が拾う形を示している。人が骨を拾う図は誰が見ても恐ろしいのではないか。

ああ、あと6分。60分書き続けたところでこの支離滅裂な文章を止めたい。腕もしびれてきた。椅子が悪いのかもしれない。座布団が必要かもな。そうそう昨日、重いものを持ち上げてからずっと腰が痛い。ぎっくり腰かもしれない。この年になってはじめて整骨院とやらに行くことになりそうだ。体幹の痛みは注意したい。体は大切にしたい。マクドナルドを食べなくなって1年半、体調がすこぶる良いのだ。マクドナルドが悪いと言っているわけではないよ。ちょうど同じ時期からテレビを見なくなったから、体調がいいのはテレビを見ない生活のおかげかもしれない。何が体に良くて悪いかわからないなあ。ノンシリコンシャンプーを使ったりオーガニックコスメを使っても、髪の毛はパサパサになる日があるし肌に吹き出物が出たりする。食生活に注意しても吐く時は吐く。こればっかりは。何が原因かわからない。何が原因かわからないから楽しい。

自分が日々刻々と変化していることを実感できる事ほど、楽しいものはない。はい。60分経ちました。しばらくしたらこの文章消したんねん。

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