スキップしてメイン コンテンツに移動

玉屋洋服店の話。

私は墨東まち見世2011の事務局をしています。TwitterFacebookでご覧いただいている方もいらっしゃるかと思いますが、現在、3月9日からスタートする100日プロジェクトという企画の準備を着々と進めているところです。

プロジェクトの詳細はこちらからご確認ください。
墨東まち見世2011〈100日プロジェクト〉
谷山恭子  “ lat / long - project   I‘m here. ここにいるよ。”


さて、本文では、100日プロジェクトで作品設置を行った八広にある「玉屋洋服店」について書こうかと思います。作品について、というよりは玉屋洋服店で働くおばあさん(80歳より上)の笑顔と、体を揺らして喜んでくださったあの瞬間について。


50年以上も八広で洋服店を営んできた玉屋さんはまちの事を熟知しています。町内会長でもありますから、コンビニで働く方の癖やご近所にある工場の社長の子ども時代の事まで何から何までご存知です。だから、まちの人からも知られている存在です。2つの信号に囲まれた道の真ん中にある玉屋洋服店は目立ちます。大きなショーウィンドウには3体のマネキンが立ち、その周りをシャツが取り囲みます。お世辞にもオシャレとは言えませんが、記憶に残ります。店の前にはいつもおじいさんが立っています。

墨東まち見世100日プロジェクトでは、谷山恭子さんを招聘しました。彼女はGPSロガーを使い、緯度と経度を計測しながらまちを歩きました。小数点以下が無い、きりのいい数字の交点に偶然ある「何か」に作品を設置するプロジェクトは、玉屋洋服店にポイントを見つけます。八広在住の方のお手伝いもあり、作品設置は了承いただくことができました。ショーウィンドウにアプローチする作品は、ぜひ3月9日以降の展示でご覧ください。


作品設置に3月3日、4日と玉屋洋服店を訪れました。おじいさんとおばあさんにご挨拶し、まずは掃除から始めます。お仕事の邪魔にならないように、気を遣いました。正直言うとかなりビクビクしていました。緊張していました。でもそれは杞憂で、おじいさんもおばあさんもとても明るく、私たちの作業を見て下さいました。特におばあさん。私たちがゴミ袋を探していると「何?ゴミ袋がほしいの?」と言って奥にひっこむと手にゴミ袋を持って出てきてくださいます。私たちが何か困った素振りをみせるとすぐに手に「何か」を持って来て下さいます。黙々と作業を続けていると顔を出し、話しかけてくれます。庭にある梅の話。チューリップが咲きそうだという話。カサブランカの白い花が咲くんだよ。梅は今年は遅いけど綺麗なんだよ。「梅が好きなんです」と私が言うと、嬉しそうな顔で「梅が好きなやつの性格はわかりやすいねえ!派手じゃないけど綺麗なものが好きなんだよね!」と嬉しそう。私もついおばあさんと話し込んでしまいました。


お昼ごはんを食べて作業を開始すると、ショーウィンドウの作品設置は進みます。見た目がどんどんと可愛らしくなっていきます。おじいさんもおばあさんも、時々様子を伺いながら「あら!なんて可愛いのかしら!」と楽しそうな声をあげます。ショーウィンドウに作品が揃うと、おばあちゃんは体を揺らして「可愛いねえ!」と言ってくれました。しわくちゃで目がほとんど閉じて笑っているその顔は、写真に残していませんが、忘れられません。「やってよかった」と心から思えます。

世代の違う人と話したかったんだろう、とか、客観的に言うことは簡単です。ただ、私たちとおばあさんおじいさんとの数時間は、なにかそういう「作用」とは違う、説明の難しい経験でした。「ほんとによかったねえ!」と二回りも違う間柄で言い合える感じ。ご近所のお母さんが通りがかりに「あら、可愛くなって」という言葉を同じ目線で喜べる(ような)感じ。ショーウィンドウを掃除している時に小学生が「あれ?!閉店するの!?」と叫ぶのを笑いながら聞ける感じ。


ああ。「関わる」ってこういう事なんだ。と言える感じ。縁起でも無い事をいうけれど、あのおじいさんとおばあさんが亡くなったら、自分の親が死んだかのように悲しむと思います。

コメント

このブログの人気の投稿

「仮面屋おもて」がキラキラ橘商店街にオープンしました。

京島のキラキラ橘商店街は、私が事務局メンバーとして関わっていた「墨東まち見世」にとって縁の深い商店街です。初年度から様々な企画でお世話になっており、2012年度ではインフォメーションセンターとしての事務局スペースを構えさせていただきました。(初年度、その場所では岸井大輔さんのプロジェクトが行われ、商店街では大巻伸嗣さんの展示も行われました。)現在、そのインフォメーションセンターとして借りていた場所はブティックが入店しています。

さて、キラキラ橘商店街は毎週土曜日に「キューピッドガールズ」によるパフォーマンスが行われたり、日曜朝には朝市、日本全国の中学生が課外授業として訪れるなど、商店街を中心とした地域の魅力発信がとても盛んです。そんな商店街に、最近なにやら不思議な店構えの店舗が入店しました。

既に4月28日オープンしておりますが、その数日前、関係者への内覧会におじゃましましたのでその写真をご紹介します。まずはずらりと見てください。

ところ狭しと仮面の並ぶ1階スペース

海外の作家さんの仮面も並んでいました
 ひ!一つ目!
 通りの向こう側からも見えるようになっていますね
このお店は「仮面屋おもて」という「仮面」のお店です。揃えているのは、日本国内外を問わず様々な仮面作家さんの作品です。内覧会は夜に行われました。商店街を通り過ぎる人は帰宅途中、もしくはこれから飲みにでも出かける人でしょうか。色々な背景でその前を通るほぼ全ての人が足を止めてその店を眺めていました。無理もありません。見たこともない不思議で美しく面白く想像力をかきたてる仮面が展示されているのですから。


何屋さんか一目瞭然、でも何をするのか入ってみないとわからない
仮面の使われるシチュエーションは私たちが想像している以上にありました。例えばミュージックビデオの中の演出としてよく使われていますよね。その他、ファッションショーの一部として、映画、演劇の道具として。様々な場面で仮面は使われていることに気付きます。店主の大川原さんは、こうした仮面の需要に対してこたえられる仮面作家さんの紹介を行っているそう。つまり仮面のことならなんでもござれ、彼に情報が集約しているんですね。

これからは販売だけではなく二階スペースでのワークショップなど、様々な事業展開も考えているそうです。演劇では仮面を意味する「ペルソナ」は、ただ衣装を着たり仮…

知床旅行記(旅行というか週末の過ごし方)

知床でワークショップをする機会をいただいたきっかけや理由や流れをここで説明するのは難しいし可能ならば丁寧に、そう、面と向かって相手の表情を見ながら伝えたい内容。ここでは初めて知床に向かう際の飛行機内で偶然アーティストのエレナトゥタッチコワさんに出会ったことを話しておいた方がよいと思う。

数年前のアタミアートウィークで知り合って以来の出会いだったけれも忘れられないその顔はすぐ声をかけるに至った。女満別の空港で仕事の依頼主を紹介したり、行き先を聞いて同じ知床であることに驚いたり、そこで初めて「メーメーベーカリー」というパン屋のことを聞いたりした。

雪解けとメーメーベーカリー
メーメーベーカリーとシリエトクノートから広がる様々なつながりや状況のおかげでワークショップは、私が思っていた以上に何かが伝わったと思う。知床には合計2回ほどしか来ることは無かったけれど、私にとって墨田区に続いて気にかかる…大事な感じのする場所になった。

ワークショップが終わってから1~2年ほど知床に行くことは無かったけれど、メーメーベーカリーの小和田さんやシリエトクノートの中山さんたちが東京に来た時に出会ってご飯を食べたりカラオケをしたり、思い出はなかなか途切れることなく着々と痕跡を残してくれている。

AIR DOと夕焼け
そしてこの4月の半ば、やっとこさ、知床半島を再び訪れた。

ワークショップの際は依頼主が用意したレンタカーで女満別空港からウトロまでひとっとび(といっても1~2時間かかる)だった。今回は公共の交通機関を使った。まずバスで女満別から網走駅へ。網走駅から釧網線を使って知床斜里駅へ。知床斜里駅に着くとシリエトクノートの中山さんが待っていてくれた。彼女の車に乗って宿泊する「しれとこくらぶ」へ。

夜の網走駅はちょっと雰囲気が、ある
釧網線の一両車両。ここで高校生たちの青いやりとりが。
石川直樹さんの写真とプロモーション。やっと見れた。
しれとこくらぶ、お世話になりました!
祖父の代に地元の付き合いで譲り受けた(お歳暮として)温泉をもとにスタートした民宿「しれとこくらぶ」は市街地にある。手作り感のあふれる民宿は、やはり温泉が良質で素晴らしく、しれとこくらぶ1階で開業しているレストラン年輪も人気。夜中や朝早くはそりゃもちろん少ないが、夕飯時はご近所さんや宿泊客で賑わっている。朝食はお母さんの手作りを食べな…

新年早々、車をぶつけちゃいましたよ。

私は車をガレージの門にこすりつけた。車は運転席ドアが開かず助手席側から入るしかないほど右側の壁近くに駐車されていた。向かう方向は右側。私は左にハンドルをきり、少しふくらませてから右にハンドルを回す。ところが、安全に出発させるには、もっと車を前に出す必要があったらしい。門をこするギリギリの距離で私はどうしようもできなくなった。心配して様子を見ていた父親にハンドルを譲った。彼もこの状況から脱するのに困難を要したが、なんとか門と車の右側との距離を空けて、車を出すことができた。父親が車の右側をチェックしに走ると、案の定、夜でもわかるほどの傷があった。思わず「これ5万や!」と彼は言った。私は本当に申し訳なく思って謝った。ドライブに出る予定だったが、もはやそんな気分じゃない。「大丈夫や、気にすんな」と父はフォローを始めた。私の肩をバンバンと叩き「この車は共有や。みんなのもんや。おまえのモノでもあるし俺のモノでもあるねん」と言い「気にせんでいいから、ほら、ドライブに行け!」と運転席に押し込み去っていった。

1時間ほどドライブをしていたと思う。5万円と具体的な数字を言われてしまったから、申し訳無さや運転技術の低下した事の情けなさが、いやにビビッドに頭を駆け巡る。「右に詰めすぎやねん」とか「運転技術にこだわるのはええねんけど、ガレージ広いねんから、そんな技術の鍛錬は無駄やん」とか言い訳も顔をのぞかせたけれども「いやいや、私の技術さえあれば回避できた」とか「落ち着いて対処できたら問題にならなかった」と今度こんな事が起こらないように、と反省に集中した。

帰宅した。今までにないくらい車庫入れは緊張した。何度もハンドルを回して、まるで若葉マークの初心者のよう。気分は落ち込んでいて、一階で炬燵に入っていた父親に「5万なんよな。ごめん。本当に申し訳ない」と言った。彼は「車は慣れの問題や。あんま運転する機会ないから仕方ない。もっと運転したらええねん」と、またフォローをした。私も大人気なかったと思う。「しばらく運転せんとくわ」とどうしようも無い事を言ってしまった。なんとなく、このまま一人で誰とも話さずに寝たかったから「寝るわ」と3回念を押して二階に上がって寝室にこもった。母親は意図を理解してくれていたようだったが、父親はそうでなかったんだと思う。

階段を上がってきた父親は寝室のふすまをノックした…