スキップしてメイン コンテンツに移動

痛い日記。


「痛み」は危険信号だという話をどこかで聞いた。頭痛や腹痛や腰背部痛。単に何か針が刺さってるとか寝違えただけだと見逃していたら、クモ膜下出血や常位胎盤早期剥離や感染性心内膜炎だった、なんて事もある。「痛み」は見逃せない。

「痛い痛い」とばかり言ってられない。我慢も必要な事がある。頭が痛いから会社を休みます。それくらいは我慢して仕事をしろ、それだけの責任がお前にはあるじゃないか。どうするんですか、私がクモ膜下出血だったら、だから休ませて下さい。なんて言い訳は通用しない。まあ、そもそもこの「痛み」は疼痛のメカニズムに当てはまらないかもしれないが。しかし関連痛という場合もある。見逃せない。

親知らずを抜く瞬間は痛い。その「痛み」を和らげるための麻酔を注射するその瞬間も痛い。「痛み」から逃げていると虫歯が進行し鋭い「痛み」が毎日続く。虫歯の「痛み」は見逃せない。「痛み」を取り除くために、私は親知らずを抜いた。

今日は2度目の抜歯。2週間前に右上の親知らずを抜いた。右上は優等生で、大した「痛み」を残すこと無くするりと抜けてくれた。机の上でガーゼにくるまれた優等生がこちらを向いている。どことなく愛らしい。ごめんね。私のわがままで放り出しちゃって。ところが左上のやつはとことん不良だった。

私が悪い。本当は。ネグレクトしてしまっていたのだ。小さな「痛み」を「耐えられる」と判断した私は、彼が少しずつ崩れていくのを気づきながら、放置していた。真っ白だった肌はどんどん黒くなり、形を変え、鋭く尖っては頬を傷つけた。もう我慢できない。彼との別れを決心したのは、ネグレクトをしていた私の方だった。なんて身勝手な決断だろう。いや、このままの状態でい続けては、お互いに良くない事はわかっている。心が痛む決断をし、私は彼との別れを医者に告げた。医者は、その面妖なメガネの後ろ側から、憐れみ深い眼差しを私に投げかけていた。いや、医者のそれは私にではない彼に対するものだっただろう。

麻酔が注射された。1つ、2つ、3つ。針が歯肉を差す。鋭い痛みが明確に場所を指す。彼のすぐそばを銀色の針が横切る。彼はどんな顔をしているだろう。たぶん、針に顔が写っていたかもしれない。痛い。しかし、この「痛み」はすぐ消えた。麻酔が効いている。

私の顔からタオルを取り、医者は「ゆすいでください」と言った。私は起き上がり紙コップを手にした。水が入っていた。少し暖かい。「痛み」を抑えるためなんだろう。口に含んで、彼を洗った。吐いた水は赤かった。

椅子は倒された。タオルがまた私の顔にかけられた。オレンジ色をしていた。「さてと…」と言った医者の声は力がこもっていた。まるで儀式の前の司祭の祈りで、慣れていた。力を入れる場所もわかっているんだろう。体中に血が巡り、筋肉は昨日と同じ形に収縮し力をためる。何かの器具を取る音が聞こえた。私の口に手をつっこみ医者は力を入れた。

どうして私はもっと早く彼との別れを決心しなかったんだろう。手遅れではなかったにしても、遅すぎたようだ。崩れていく彼。「ゴリゴリ」という音と共に。医者は苦戦を強いられていた。慣れた手つきは通用しないようだった。なんどもなんども彼は傷つけられ、その度に「ガリゴリギリゴリ」という音が室内に響く。診察台が3つ程しかない小さな歯医者には、さぞ大きく響いただろうと思う。(後で知ったのだけど、この音は、私と医者くらいにしか聞こえていなかったらしい。誰も気づいていなかった。)

「一回ゆすいで!」と医者は強く言った。諦めたわけではないが「いつもの」自分では彼には勝てなかったようだ。紙コップに注がれた優しい水で、私はまた彼を洗った。もはや彼ではないかもしれない。変わり果てた彼の姿を、見えないけれども、私はわかっていた、知っていた。水は真っ赤だった。

小学四年生のころ、私は左の手首を骨折した。折れた骨は少しずれていた。病院に行くと治療は簡単にすんだ。一瞬。医者が力任せにズレた骨を戻した。麻酔もなくあっという間の出来事だったが、あの「痛み」は忘れない。私の絶叫は診察室の外、10メートル先のベンチにまで聞こえたという。あの「痛み」程ではなかったが、鋭い「痛み」が私の左上の歯を襲った。彼がいた場所だ。


彼は4〜5の塊に姿を変えていた。頼れる姿はもはや無く、ボロボロの金平糖のように崩れた彼。黒い、赤い、白い、茶色い。血にまみれた彼は惨殺死体よりも悲しい姿でガーゼの上にいた。さようなら。私の大切な親知らず。放って置いたのは私の方で、悲しい気持ちを胸に秘めて崩れていったのは彼の方。「痛み」から逃れたくて勝手に別れを告げて、勝手に悲しむ私の愚かさ。

今もまだ続く鈍い「痛み」は、彼が残した忘れ形見だと思う。自業自得。放置してはいけない。「痛み」に強い事を過信して「耐える」という選択をしてしまったがために私は「痛み」に対して鈍感になってしまったのだ。

体の一部は必ず痛い。体を心にまで範囲を広げれば、それこそ痛くない日は無い。「痛み」に強い自分を過信してはならない。鈍感であってはいけない。「痛み」を自覚して向き合う事を私は忘れない。

そして、途中から暴走、痛い文章を書いた自分について、もっと自覚しないといけないね。長文お付き合いいただきありがとうございました。

コメント

このブログの人気の投稿

「仮面屋おもて」がキラキラ橘商店街にオープンしました。

京島のキラキラ橘商店街は、私が事務局メンバーとして関わっていた「墨東まち見世」にとって縁の深い商店街です。初年度から様々な企画でお世話になっており、2012年度ではインフォメーションセンターとしての事務局スペースを構えさせていただきました。(初年度、その場所では岸井大輔さんのプロジェクトが行われ、商店街では大巻伸嗣さんの展示も行われました。)現在、そのインフォメーションセンターとして借りていた場所はブティックが入店しています。

さて、キラキラ橘商店街は毎週土曜日に「キューピッドガールズ」によるパフォーマンスが行われたり、日曜朝には朝市、日本全国の中学生が課外授業として訪れるなど、商店街を中心とした地域の魅力発信がとても盛んです。そんな商店街に、最近なにやら不思議な店構えの店舗が入店しました。

既に4月28日オープンしておりますが、その数日前、関係者への内覧会におじゃましましたのでその写真をご紹介します。まずはずらりと見てください。

ところ狭しと仮面の並ぶ1階スペース

海外の作家さんの仮面も並んでいました
 ひ!一つ目!
 通りの向こう側からも見えるようになっていますね
このお店は「仮面屋おもて」という「仮面」のお店です。揃えているのは、日本国内外を問わず様々な仮面作家さんの作品です。内覧会は夜に行われました。商店街を通り過ぎる人は帰宅途中、もしくはこれから飲みにでも出かける人でしょうか。色々な背景でその前を通るほぼ全ての人が足を止めてその店を眺めていました。無理もありません。見たこともない不思議で美しく面白く想像力をかきたてる仮面が展示されているのですから。


何屋さんか一目瞭然、でも何をするのか入ってみないとわからない
仮面の使われるシチュエーションは私たちが想像している以上にありました。例えばミュージックビデオの中の演出としてよく使われていますよね。その他、ファッションショーの一部として、映画、演劇の道具として。様々な場面で仮面は使われていることに気付きます。店主の大川原さんは、こうした仮面の需要に対してこたえられる仮面作家さんの紹介を行っているそう。つまり仮面のことならなんでもござれ、彼に情報が集約しているんですね。

これからは販売だけではなく二階スペースでのワークショップなど、様々な事業展開も考えているそうです。演劇では仮面を意味する「ペルソナ」は、ただ衣装を着たり仮…

知床旅行記(旅行というか週末の過ごし方)

知床でワークショップをする機会をいただいたきっかけや理由や流れをここで説明するのは難しいし可能ならば丁寧に、そう、面と向かって相手の表情を見ながら伝えたい内容。ここでは初めて知床に向かう際の飛行機内で偶然アーティストのエレナトゥタッチコワさんに出会ったことを話しておいた方がよいと思う。

数年前のアタミアートウィークで知り合って以来の出会いだったけれも忘れられないその顔はすぐ声をかけるに至った。女満別の空港で仕事の依頼主を紹介したり、行き先を聞いて同じ知床であることに驚いたり、そこで初めて「メーメーベーカリー」というパン屋のことを聞いたりした。

雪解けとメーメーベーカリー
メーメーベーカリーとシリエトクノートから広がる様々なつながりや状況のおかげでワークショップは、私が思っていた以上に何かが伝わったと思う。知床には合計2回ほどしか来ることは無かったけれど、私にとって墨田区に続いて気にかかる…大事な感じのする場所になった。

ワークショップが終わってから1~2年ほど知床に行くことは無かったけれど、メーメーベーカリーの小和田さんやシリエトクノートの中山さんたちが東京に来た時に出会ってご飯を食べたりカラオケをしたり、思い出はなかなか途切れることなく着々と痕跡を残してくれている。

AIR DOと夕焼け
そしてこの4月の半ば、やっとこさ、知床半島を再び訪れた。

ワークショップの際は依頼主が用意したレンタカーで女満別空港からウトロまでひとっとび(といっても1~2時間かかる)だった。今回は公共の交通機関を使った。まずバスで女満別から網走駅へ。網走駅から釧網線を使って知床斜里駅へ。知床斜里駅に着くとシリエトクノートの中山さんが待っていてくれた。彼女の車に乗って宿泊する「しれとこくらぶ」へ。

夜の網走駅はちょっと雰囲気が、ある
釧網線の一両車両。ここで高校生たちの青いやりとりが。
石川直樹さんの写真とプロモーション。やっと見れた。
しれとこくらぶ、お世話になりました!
祖父の代に地元の付き合いで譲り受けた(お歳暮として)温泉をもとにスタートした民宿「しれとこくらぶ」は市街地にある。手作り感のあふれる民宿は、やはり温泉が良質で素晴らしく、しれとこくらぶ1階で開業しているレストラン年輪も人気。夜中や朝早くはそりゃもちろん少ないが、夕飯時はご近所さんや宿泊客で賑わっている。朝食はお母さんの手作りを食べな…

新年早々、車をぶつけちゃいましたよ。

私は車をガレージの門にこすりつけた。車は運転席ドアが開かず助手席側から入るしかないほど右側の壁近くに駐車されていた。向かう方向は右側。私は左にハンドルをきり、少しふくらませてから右にハンドルを回す。ところが、安全に出発させるには、もっと車を前に出す必要があったらしい。門をこするギリギリの距離で私はどうしようもできなくなった。心配して様子を見ていた父親にハンドルを譲った。彼もこの状況から脱するのに困難を要したが、なんとか門と車の右側との距離を空けて、車を出すことができた。父親が車の右側をチェックしに走ると、案の定、夜でもわかるほどの傷があった。思わず「これ5万や!」と彼は言った。私は本当に申し訳なく思って謝った。ドライブに出る予定だったが、もはやそんな気分じゃない。「大丈夫や、気にすんな」と父はフォローを始めた。私の肩をバンバンと叩き「この車は共有や。みんなのもんや。おまえのモノでもあるし俺のモノでもあるねん」と言い「気にせんでいいから、ほら、ドライブに行け!」と運転席に押し込み去っていった。

1時間ほどドライブをしていたと思う。5万円と具体的な数字を言われてしまったから、申し訳無さや運転技術の低下した事の情けなさが、いやにビビッドに頭を駆け巡る。「右に詰めすぎやねん」とか「運転技術にこだわるのはええねんけど、ガレージ広いねんから、そんな技術の鍛錬は無駄やん」とか言い訳も顔をのぞかせたけれども「いやいや、私の技術さえあれば回避できた」とか「落ち着いて対処できたら問題にならなかった」と今度こんな事が起こらないように、と反省に集中した。

帰宅した。今までにないくらい車庫入れは緊張した。何度もハンドルを回して、まるで若葉マークの初心者のよう。気分は落ち込んでいて、一階で炬燵に入っていた父親に「5万なんよな。ごめん。本当に申し訳ない」と言った。彼は「車は慣れの問題や。あんま運転する機会ないから仕方ない。もっと運転したらええねん」と、またフォローをした。私も大人気なかったと思う。「しばらく運転せんとくわ」とどうしようも無い事を言ってしまった。なんとなく、このまま一人で誰とも話さずに寝たかったから「寝るわ」と3回念を押して二階に上がって寝室にこもった。母親は意図を理解してくれていたようだったが、父親はそうでなかったんだと思う。

階段を上がってきた父親は寝室のふすまをノックした…