スキップしてメイン コンテンツに移動

2011年ヨネザワエリカの活動まとめ


2011年の活動を簡単にまとめますと、事務所を開設し、墨東まち見世の広報を務め、女装のライターとして活動するための環境を準備する一年となりました。

-----------1月はTwitterを活用していた月でした。つぶやきの回数こそそこまで多くは無かった(1753)のですが。また、さるフェスでしりあがり寿さんとお話しようと準備をしていた時期でした。過去の作品を読み返し、それぞれをまとめてレビューをしていました。宝塚にはまりだした時期も重なっています。また、自分の女性性が強まっていた時期であり、男性性に対する攻撃的な意見も多かったと感じます。

-----------2月は顔面コンプレックスでライブをしました。ライブの売上で美顔器を買うというコンセプト。未だ(12月現在)実現してはいませんが。その他、会いたい人に会い続けた月でもありました。毎週末、展示を見に行っていたので、忙しい人、というキャラクターが作られた頃でもあります。今と比べて、仕事に関する愚痴のツイートが少なく感じます。

-----------3月は地震がありました。人付き合いの中心がTwitterからリアルにシフトしています。また、2010年から読み続けていた本を読み終えた月でもあります。困難な事を成し遂げた。と、同時に、震災という大きな出来事に向きあい始めました。震災についての考え方は、この時期で既に確立しています。それは以下のツイートに集約しています。「復興して東北の皆さんに笑顔が戻った時、「ああ、この人たちは災難にあったんだ。私は支援したんだ。」って思わないで「ああ、なんて素敵な笑顔をする人なんだろう」と思えるような私でいる。その為にできることはなんだろう。 posted at 20:05:50 」

-----------4月にヨネザワエリカのオフィスを向島の鳩の街通り商店街に開きました。オープニングイベントの告知と準備に集中していました。広く告知をしても、そもそもヨネザワエリカという人間を伝えるのには時間がかかります。2010年からつながってきた方々を中心に招待することに決定。着実にイベントを開催する方法を学びました。事務所の内装づくりにも集中しました。元々あった資源を活用し、また事務所のある建物、鈴木荘の皆さんの協力を得ながら作りました。

事務所解説の目的は、ライターとして執筆に集中する場所を作るためだけではありません。女装のライターとして活動していく中で、「男の娘とかはやってるもんね」という印象は拭いきれないと感じました。それくらい2011年初頭でブームになっていたんです、女装が。この印象を払拭するのは、かなり説明が必要になるだろうなと思いました。ライターの事務所があると伝えることで、その活動が具体的に、そして現実味を帯びたものになります。実績を作ることが重要なのはもちろんですが、初対面の方に伝えるためには、環境づくりが必要だと感じ、事務所開設に踏み切ったのです。

同時に、女装で地元と付き合う事も意図していました。非現実としての女装が日常にある。このズレと私がどのように向き合うのか、エリカで活動し続ける上で避けられないでしょう。商店街に事務所を構えることで、この事実と向き合い続けたいと考えています。商店街の方々や、後ほどお話しますが墨東エリアの方々にとっては、非現実だと思っていた女装が日常を侵食していく事になるかもしれません。そこで起きる事は引き受けていこうと踏み出した4月でした。

-----------5月は事務所開き、オープニングイベントに注力しました。知り合いを中心に、35名の方にご来場いただきました。本当にありがとうございます。毎週末スコーンとお茶を出して、女装のライターの事務所を体験していただきました。全く知り合う事の無かったであろう人たちが交差し、何か新しい話が生み出される現場を目の当たりにし、場所を持つことのエキサイティングを知ることができました。同時にワークショップへの参加や、友人の個展の告知サポート、コラボレーション展への寄稿(対談のモデレート含む)など活動をとにかく重ねた時期でもあります。最も頑張った月でした。

-----------6月はGID学会に参加しました。男の娘DJイベントへの参加もしました。女装が中心となる活動wおメインにしていた時期になりました。GID学会は衝撃的で、ある程度想定したいた事ではありますが、病気を増やしたいという意図を強く感じました。この場合の病気とは、性同一性障害です。

-----------7月は商店街の方とのつながりを意識する月でした。商店街の組合が主催する、所謂飲み会です。鈴木荘の皆様やこすみ図書さん以外の平均年令は、たぶん、50歳くらい。商店街に昔からいらっしゃる、私の親くらいの歳の人たちとお酒を酌み交わしてきました。もちろん、女装で。何も特別な事を話したわけではありません。「おい、エリカちゃんこっちきなよ」と呼ばれてからは、ミッツ・マングローブさんとマツコ・デラックスさんとあなたの違いは何なの、美容で気をつけていることは何なの、あなたは男が好きなの女が好きなの、であったり。酔ったおじさま方との話しは、下ねたから、芸妓遊びの話まで様々。景気の良い時の羽振り良く遊んでらしたお話は、貴重でした。ミッツ・マングローブさんやはるな愛さんに頭が上がりません。自分の説明をするのが本当に楽でした。「ミッツさんとちょっと違うのは〜」で少しずつ軌道修正をしながらお話。そもそも得体の知れない存在だったものが、テレビでよくみるあの人でカテゴライズされていたのはやりやすかった。

-----------8月は墨東まち見世の企画会議へ出席。ライターとして広報として関わり出しました。事務所を構えてから、墨田区で開催されるイベントに顔を出していたので(女装で)、関わる事に困難はありませんでした。また、着物でのイベントに出席すべく、一週間と短い期間でしたが、浴衣の着付けを毎晩練習していたのが楽しかった。

-----------9月は墨東まち見世のパンフレット制作に注力しました。ネットワークプロジェクトに参加する方々との連絡、情報の収集と集約、構成を考え、デザイナーさんと共有してディレクション。平日の仕事とパンフレット制作の並行はとても大変でした。仕事中に携帯が鳴ることも多々あり。ただ、この日の何時までに校了しなければならない、といったギリギリの締め切りが引かれていたので、電話を無視するわけにはいきません。何食わぬ顔でオフィスを出たり戻ったり。自分のキャパシティを具体的に意識することができた月として、2011年の中でも重要な時期でした。

-----------10月21日から墨東まち見世がスタートしました。一人では動かすことができない大規模なプロジェクトの準備が一区切りした月でもあります。ただ、同時に、イベントが動き出しています。限られたキャパシティーの中で墨東まち見世に100%向きあう事とはどういう事か。より具体的に知ることができました。女装であることは何も関係ありません。プロジェクトに関わる一人として、見た目の違いは何も関係がありません。ただ、関わる仕事の種類は、女としての仕事なのか男としての仕事なのか、周りが迷う瞬間を感じることがありました。私は、自分の性についての考えは伝えてきたつもりだったのですが、特に優しい人にとっては、迷うのかもしれません。局面において、私がどれだけ誠実に伝えられるか、課題です。

-----------11月23日の墨東まち見世のメイン期間は終了しました。ライターとしての関わりはこれからが本番、というふんどしを閉めた月でした。墨東まち見世ではあまり女装をしていませんでした。まちなかでの女装は、まだ時期ではないと感じたからです。今年はヨネザワエリカという事務局メンバーである事を伝えようと。それが女装なんだということは、もう少し時間を使い、なるべく私から直接伝えられるような機会を多く持っていこうと計画しています。2012年ももしかすると女装をする機会は少ないかもしれません。地域に女装が根づくには時間がかかるのです。

-----------12月は積極的にレビューを書いています。墨東まち見世の記録や過去観賞した作品のレビューなど。カタチにすることを意識しています。2012年への準備です。2012年は今年得られた全てを投入して、より具体的に準備を進める一年にします。


来年もよろしくお願いいたします。

コメント

このブログの人気の投稿

「仮面屋おもて」がキラキラ橘商店街にオープンしました。

京島のキラキラ橘商店街は、私が事務局メンバーとして関わっていた「墨東まち見世」にとって縁の深い商店街です。初年度から様々な企画でお世話になっており、2012年度ではインフォメーションセンターとしての事務局スペースを構えさせていただきました。(初年度、その場所では岸井大輔さんのプロジェクトが行われ、商店街では大巻伸嗣さんの展示も行われました。)現在、そのインフォメーションセンターとして借りていた場所はブティックが入店しています。

さて、キラキラ橘商店街は毎週土曜日に「キューピッドガールズ」によるパフォーマンスが行われたり、日曜朝には朝市、日本全国の中学生が課外授業として訪れるなど、商店街を中心とした地域の魅力発信がとても盛んです。そんな商店街に、最近なにやら不思議な店構えの店舗が入店しました。

既に4月28日オープンしておりますが、その数日前、関係者への内覧会におじゃましましたのでその写真をご紹介します。まずはずらりと見てください。

ところ狭しと仮面の並ぶ1階スペース

海外の作家さんの仮面も並んでいました
 ひ!一つ目!
 通りの向こう側からも見えるようになっていますね
このお店は「仮面屋おもて」という「仮面」のお店です。揃えているのは、日本国内外を問わず様々な仮面作家さんの作品です。内覧会は夜に行われました。商店街を通り過ぎる人は帰宅途中、もしくはこれから飲みにでも出かける人でしょうか。色々な背景でその前を通るほぼ全ての人が足を止めてその店を眺めていました。無理もありません。見たこともない不思議で美しく面白く想像力をかきたてる仮面が展示されているのですから。


何屋さんか一目瞭然、でも何をするのか入ってみないとわからない
仮面の使われるシチュエーションは私たちが想像している以上にありました。例えばミュージックビデオの中の演出としてよく使われていますよね。その他、ファッションショーの一部として、映画、演劇の道具として。様々な場面で仮面は使われていることに気付きます。店主の大川原さんは、こうした仮面の需要に対してこたえられる仮面作家さんの紹介を行っているそう。つまり仮面のことならなんでもござれ、彼に情報が集約しているんですね。

これからは販売だけではなく二階スペースでのワークショップなど、様々な事業展開も考えているそうです。演劇では仮面を意味する「ペルソナ」は、ただ衣装を着たり仮…

知床旅行記(旅行というか週末の過ごし方)

知床でワークショップをする機会をいただいたきっかけや理由や流れをここで説明するのは難しいし可能ならば丁寧に、そう、面と向かって相手の表情を見ながら伝えたい内容。ここでは初めて知床に向かう際の飛行機内で偶然アーティストのエレナトゥタッチコワさんに出会ったことを話しておいた方がよいと思う。

数年前のアタミアートウィークで知り合って以来の出会いだったけれも忘れられないその顔はすぐ声をかけるに至った。女満別の空港で仕事の依頼主を紹介したり、行き先を聞いて同じ知床であることに驚いたり、そこで初めて「メーメーベーカリー」というパン屋のことを聞いたりした。

雪解けとメーメーベーカリー
メーメーベーカリーとシリエトクノートから広がる様々なつながりや状況のおかげでワークショップは、私が思っていた以上に何かが伝わったと思う。知床には合計2回ほどしか来ることは無かったけれど、私にとって墨田区に続いて気にかかる…大事な感じのする場所になった。

ワークショップが終わってから1~2年ほど知床に行くことは無かったけれど、メーメーベーカリーの小和田さんやシリエトクノートの中山さんたちが東京に来た時に出会ってご飯を食べたりカラオケをしたり、思い出はなかなか途切れることなく着々と痕跡を残してくれている。

AIR DOと夕焼け
そしてこの4月の半ば、やっとこさ、知床半島を再び訪れた。

ワークショップの際は依頼主が用意したレンタカーで女満別空港からウトロまでひとっとび(といっても1~2時間かかる)だった。今回は公共の交通機関を使った。まずバスで女満別から網走駅へ。網走駅から釧網線を使って知床斜里駅へ。知床斜里駅に着くとシリエトクノートの中山さんが待っていてくれた。彼女の車に乗って宿泊する「しれとこくらぶ」へ。

夜の網走駅はちょっと雰囲気が、ある
釧網線の一両車両。ここで高校生たちの青いやりとりが。
石川直樹さんの写真とプロモーション。やっと見れた。
しれとこくらぶ、お世話になりました!
祖父の代に地元の付き合いで譲り受けた(お歳暮として)温泉をもとにスタートした民宿「しれとこくらぶ」は市街地にある。手作り感のあふれる民宿は、やはり温泉が良質で素晴らしく、しれとこくらぶ1階で開業しているレストラン年輪も人気。夜中や朝早くはそりゃもちろん少ないが、夕飯時はご近所さんや宿泊客で賑わっている。朝食はお母さんの手作りを食べな…

新年早々、車をぶつけちゃいましたよ。

私は車をガレージの門にこすりつけた。車は運転席ドアが開かず助手席側から入るしかないほど右側の壁近くに駐車されていた。向かう方向は右側。私は左にハンドルをきり、少しふくらませてから右にハンドルを回す。ところが、安全に出発させるには、もっと車を前に出す必要があったらしい。門をこするギリギリの距離で私はどうしようもできなくなった。心配して様子を見ていた父親にハンドルを譲った。彼もこの状況から脱するのに困難を要したが、なんとか門と車の右側との距離を空けて、車を出すことができた。父親が車の右側をチェックしに走ると、案の定、夜でもわかるほどの傷があった。思わず「これ5万や!」と彼は言った。私は本当に申し訳なく思って謝った。ドライブに出る予定だったが、もはやそんな気分じゃない。「大丈夫や、気にすんな」と父はフォローを始めた。私の肩をバンバンと叩き「この車は共有や。みんなのもんや。おまえのモノでもあるし俺のモノでもあるねん」と言い「気にせんでいいから、ほら、ドライブに行け!」と運転席に押し込み去っていった。

1時間ほどドライブをしていたと思う。5万円と具体的な数字を言われてしまったから、申し訳無さや運転技術の低下した事の情けなさが、いやにビビッドに頭を駆け巡る。「右に詰めすぎやねん」とか「運転技術にこだわるのはええねんけど、ガレージ広いねんから、そんな技術の鍛錬は無駄やん」とか言い訳も顔をのぞかせたけれども「いやいや、私の技術さえあれば回避できた」とか「落ち着いて対処できたら問題にならなかった」と今度こんな事が起こらないように、と反省に集中した。

帰宅した。今までにないくらい車庫入れは緊張した。何度もハンドルを回して、まるで若葉マークの初心者のよう。気分は落ち込んでいて、一階で炬燵に入っていた父親に「5万なんよな。ごめん。本当に申し訳ない」と言った。彼は「車は慣れの問題や。あんま運転する機会ないから仕方ない。もっと運転したらええねん」と、またフォローをした。私も大人気なかったと思う。「しばらく運転せんとくわ」とどうしようも無い事を言ってしまった。なんとなく、このまま一人で誰とも話さずに寝たかったから「寝るわ」と3回念を押して二階に上がって寝室にこもった。母親は意図を理解してくれていたようだったが、父親はそうでなかったんだと思う。

階段を上がってきた父親は寝室のふすまをノックした…