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Ukraine 旅行 / 4日目

クリミア戦争は世界史の教科書で見た事がある。そういう人、多いですよね。私もその一人。1854年から始まったこの戦争の舞台となったのがこのクリミア半島。ここには15世紀中頃にチンギス・ハーン裔の王族、ハージー1世ギレイによって建国されたクリミア・ハン国がありました。ロシアとオスマン・トルコに挟まれたこの国の首都が私がツアーで行ったバフチサラーイ。イスラム色の強いこの地方は、同じウクライナとは思えない異国情緒あふれた観光地でした。

ツアーのバスで向かうこと2時間半という長旅。冷房の無い車内ですが、窓を開けると涼しい風。目的地まで暑いと感じることは一度もありませんでした。

さて、この2時間半ガイドの女性が一度も休む事無く喋り続けていたことをお伝えしなくてはいけません。150分です。途中休憩は乗客の休憩時のみ。全てロシア語で話していたので内容は全くわかりませんが、おそらく歴史の説明をしていたのでしょう。チンギスハンとかそういう単語は聞き取れました。しかし、何度も言いますが、150分。東京→大阪間をひたすら説明しているわけですよ。明石家さんまでもできるかどうか。。。島田紳介なら、、いや、難しいかもしれません。そんな芸当をいとも簡単に成し遂げる。プロ根性をかいま見ました。さすが何世紀もリゾート地として名を馳せたヤルタ。プライドを感じました。

何言ってるか、さっぱりでしたが。

さて、バフチサラーイに到着。おそらくお昼ご飯の為、エキゾチックなレストランへ。さてその道すがら、女性二人が声をかけてくれました。ツアー客です。ロシア語でした。わからない。と説明すると、そのうち一人が英語で話しかけてくれました。よかった、通訳してくれる人がいた!この人はターニャと言い、ウラジオストック在住のロシア人。ターニャのおかげで、この後のツアーはガイドの説明も楽しめたのです。ほんとに感謝。

昼ご飯のメニューだけを決めてお金を払い、(後ほど食べる時間があるとのこと)崖に建てられたウスペンスキー修道院に向かいます。

ところが修道院を通り過ぎ、ガイドはまだまだ山道を歩きます。隣りにいた男性が私に英語で説明してくれました。「この後、1時間山をのぼるそうですよ。さらに頂上で1時間過ごして、1時間かけて下山するんですって。」目的地はまだ他にあるそうです。

げ。

ツアー客のほとんどが、びっくりしています。サンダルの人もヒールの人もいる。山のぼるつもりの人なんてほとんどいない(汗)だからなのか、ガイドさんは10分ごとに立ち止まりその場の説明。これが効果的な休憩となりました。ちなみにこのガイドさんはバスの女性とは別で、男性。なんとかスキーとかいう名前で、表情の硬い人。感情を顔にださずに淡々と話すその姿はまるでハートマン軍曹。恐い。しかしながら、頂上まで喋り続けるその姿は、先ほども言いましたがプライドを感じます。

ターニャの説明のおかげで、わかりました。山の上には、10世紀以前の民族の集落があること。平坦なウクライナの中では特殊なこの山は、長い距離に渡って頂上が平べったいこと。高山病になるかもしれないから、オイルを腕に塗ってそれを嗅ぎながら進む事。本当にターニャありがとう。

土産物を売るテントが軒を連ねる険しい道を歩き、頂上へ向かう1時間。ハートマン軍曹の解説のおかげで時間も感じない疲れない道でした。眺め最高の頂上でもまた説明が続きます。ここまでくると、軍曹も疲れたのか慣れたのか、笑顔も見せていました。それがまた可愛い。いい人だと思う。

そういえばアンナとターニャはよく姿を消しました。気がつくと説明も聞かずに写真を撮っていたり、岩場で休憩していたり、先に進んでいたり。36歳とは思えない奔放さで旅行を楽しんでいます。下山した後のお昼ご飯でもビールを飲み飲み。『ビール最高!』とハーン宮殿観光時にはすでに出来上がっていました。

疲れた体にお酒を流し込むと、大抵、悪酔いします。ターニャも悪酔いしてしまいました。日差しが強く滝汗流れるこのツアーでは、ビールはあまりよくなかったなあ。ハーン宮殿にもガイドが付き、説明を丁寧にしてくれました。もちろんターニャの翻訳を期待していたのですが。後半、へたり込むことが多くなりました。「どうしたん?」と聞くと、手を振りながら疲れた、って言う。一通り宮殿内ツアーが終わると、ターニャは公園から出て日陰に座り込みます。「どうしたん?楽しかったねー何か飲むもの要るかい?」と話しかけると、「なんかね、泳いでる感じなのよ。ビールの海に気持ちよく。アンナが向こうにいるよ」とかフワフワした様子。これはヤバいなあ。

急いで売店で冷たい水を買いました。戻ってターニャにあげると嬉しそうな顔。ゴクゴク飲んでいる姿が愛らしい。戻ってきたアンナが意地悪そうに「私の分は?」と言っているのが、なんだか当たり前のやりとりやけどそれが嬉しかった。

気分回復したターニャとアンナとバスに戻り、バフチサラーイを後にしました。さすがに帰りのバスはガイドさん無言。さらに地元で途中下車(!)。なかなか奔放なプロガイドで、気持ちがいい。さらにターニャとアンナも途中下車。バイバイの挨拶も満足に出来ませんでしたが、最後にターニャが一言ロシア語で言いました。たぶん、隣りにいた英語を話せる男性に翻訳を頼み降りていきました。笑顔で、手を振って。夕方で傾いた陽で影になっていたけど目は透明で輝いていて、綺麗な笑顔。印象的。異国の女性はどうしてあんなに輝くんやろう。。

フワフワとした気持ちでツアーを終えました。ホテルに帰ってもターニャの言葉が忘れられない。

『怖がらないで ロシアにおいで』

ほんとに楽しい一日でした。さすが一人旅。自由なのっていいなあ。

さて次はウクライナ五日目です。
旅も後半。『日本に乾杯の巻』で。

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